2009年08月26日

高校時代の映画「ダーティーハリー」

  この頃は刑事物の映画がハリウッドでも沢山作られました。1970年代といえばこの「ダーティーハリー」でしょう。なかなかこの作品の出来も良く、ドン・シーゲル監督もこれで大きくクローズアップされました。もちろん、クリント・イーストウッドもです。
  私は幼い頃から彼のTVシリーズ「ローハイド」は観ていましたが、マカロニ・ウエスタンに出演していた何本かの作品は未だ未見でしたので、この作品が映画館で観た2本目の作品だと思います。1本目は同じイーストウッド主演で「マンハッタン無宿」という映画でした。それは田舎から護送する刑事が移送中に犯人を取り逃がし、知らぬ街で追っかけるお話だったとと思いますが、まずまずの出来映えでした。
  それからこの「ダーティーハリー」が誕生します。私にはエピソードが多すぎて、何故か散漫に見えたのですが、犯人のスコルピオンもあまりそんなに悪者に思えなく困ってしまいました。たぶん小男でよく見ると可愛い顔をしているからかも知れません。
  それにあの大型拳銃のマグマム弾のM29ですが、両手打ちがこの作品で盛んに使われるようになった気がします。以前は両手打ちなど見たことがありませんでしたが、気のせいでしょうか。小型拳銃でもなんでも両手打ちで変でした。
  「ダーティーハリー」は続編が次々作られました。私は全て観ましたが、だんだん暗くなり、明るい映像は少なくなりました。特にクリント・イーストウッド監督作品は彼の好みかも知れませんが、彼の作品は全て明るさがありません。多分彼の性格か、独特の映像美を持っているのでしょう。意味不明の事を書きましたが、何故か彼の監督作品は暗い映像が多いと思います。その点、この「ダーティーハリー」はドン・シーゲルの職人芸と天真爛漫さがほどよく出ており、楽しめる映画に仕上がっていました。
  
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2009年08月22日

高校時代の映画「フレンチ・コネクション」

  この頃は刑事ものの当たり年だったのかも知れません。「ダーティ・ハリー」も大ヒットしました。しかもこの「フレンチ・コネクション」は堂々とアカデミー作品賞など主要5部門も受賞した、刑事物の傑作と言われました。私はやはり「ブリット」のほうが断然買いますが、奇しくも同じ製作者が担当しました。監督はウイリアム・フリードキンで、このあとあの「エクソシスト」を作りました。
  ポパイ刑事役のジーン・ハックマンも主演男優賞を受賞しました。彼はその前の「俺たちに明日はない」で兄貴の役で印象深い演技を見せていましたが、この受賞で大スターの仲間入りをしました。私がこの作品を観たときにアカデミー賞を取っていたかはとく覚えていませんが、「ブリット」とは違い賑やかな忙しい映画になっていました。車と高架下で電車を追っかけるシーンも迫力ありましたが、「ブリット」からこの手のカーアクションは始まり、アクション映画には欠かせないものになりました。
  この映画に忘れられないのはフェルナンド・レイという役者です。スペインの役者ですが、どこかで見たような一度見たら忘れられない風貌をしています。ポパイのがさつさと対照的に紳士然とした優雅で、それでいて抜け目ない動作が印象的でした。電車内でポパイが彼を見張るシーンで取り逃がす所などはなかなか痛快でした。敵ながらあっぱれのシーンです。彼には最後までやられっぱなしです。麻薬を囮に使うのですが、肝心の彼には逃げられてしまいます。きっと続編が作られると思っていたのですが、そのとおり製作されました。
  「フレンチ・コネクション2」の監督はジョン・フライケンハイマーに変わっていました。続編は前作を超えられないと言われていますが、どうして2も見事な男臭い映画になっていました。そして最後にかたきを撃つシーンは溜飲ものでした。
  私は高校時代に観たこの作品の感想を映画サークルの機関誌に投稿書した覚えがあります。映画の感想を書いてみてはと言われたのですが、このときが映画の感想を書いたのは初めてでした。今読んでみると赤面ものでしょうが、高校生の感想です、良き思い出になっています。
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2009年08月16日

高校時代の映画「華麗なる賭け」

  何ともかっこいい題名だろうか!この作品は1968年の公開作品だから、もう40年も前の映画ですが、題名通り華麗な作品でした。初めて観たのが高校2年の時ですが、こんな画面の処理は初めてみました。マックィーンがポロの競技をするシーンはびっくりしました。大画面で小さくコマを割って姿を写してくれるのですが、素晴らしかった!
  映画も全体がおしゃれで映像もファッション雑誌のようで、どのシーンを切り取ってもいけてるのです。今風に言うとグラビア映画のようです。共演はフェイ・ダナウェイで、彼女が一番美しく乗りに乗っていた時だと思います。監督のノーマン・ジェイスンですが、彼とは2度目の作品です。「屋根の上のバイオリン弾き」という傑作をものにしますが、私はこの「華麗なる賭け」がベストだと思っています。ストーリィの面白さ、素敵な音楽、おしゃれな映像、そして2大スターの駆け引きとロマンス、どれをとっても言うことがありません。
  この作品も時々DVDで観ますが、いつも楽しませてもらっています。この作品はリメイクもされましたが、到底マックィーン版には及びませんでした。犯罪映画の範疇には納まりきれない映画だと思います。なかなかこれだけの映画にはお目にかかりません。それほど華麗なる映画だと思います。
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2009年08月11日

高校時代の映画「ブリット」

  高校時代はろくに勉強もせず、いわゆる赤点ばっかりとっていたのに、よく卒業出来たものと思っています。しかし学校はとっても良く、友人も沢山いたので楽しくよろしくやっていました。そのころはアルバイトをしていたので映画を観る資金は何とかやりくりしていたのですが、その頃からお金には縁がなくいつもピイピイしていました。それが今でも続いているのです。
  スティーブ・マックィーンのファンになってから映画を観だしたのですが、彼の映画は何度も見続けました。「大脱走」「ブリット」「華麗なる賭け」「栄光のルマン」「荒野の七人」などです。いわゆるアクション映画ばかりですが、やはり一番観たのは「大脱走」と「ブリット」でしょう。特に「ブリット」は今でも時々DVDで観ています。正に私の中では映画史に残る大傑作です。
  あんなにかっこいい役者は古今東西未だにいません。書けばきりがないので止めおきますが、カーチェイスは言うに及ばず、ブリットの仕草や思考や行動力にはしびれてしまいます。文章では伝えられないかっこよさが出ているのです。刑事物はその後もハリウッド映画でも沢山作られて来ましたが、この映画以上の作品はお目に掛かりませんでした。映像、音楽、役者などが正にはまっているのです。「ブリット」がかかる映画館がありましたら、まるで追っかけのように映画館巡りをしたものであす。友人からはまた行くのと呆れられていました。随分高校の友人を一緒に連れてっていったものです。しかし幾度観ても好きな映画は新たな発見があったり、気づくものでした。今でもそうです。頭が悪いのか、何十回と観ているのに忘れていたり、ああそうだったと気づく所が今でもあるのです。
  日本映画も明らかにこの作品を意識した映画が作られましたが、やはりダメです、足下にも及びませんでした。頭の中にあのメロディーが流れて来るとまた観たくなるのです。音楽のラロ・シフリンもこの映画の成功で「燃えよドラゴン」につながりましたし、監督のピーター・イエーツもこの作品以上の作品は作れませんでした。しかしこの「ブリット」一作で私の中では金字塔を打ち立てました。また折りを見て、この作品は触れていきたいと思っています。
  そんな私ですが、この作品と「華麗なる週末」は私の映画のバイブルといえるものです。
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2009年08月05日

高校時代の映画「ボルサリーノ」

  「ボルサリーノ」とは有名な帽子のメーカーの名前らしいです。まさにフランス映画らしくおしゃれな映画に出来ていました。主演はアラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドです。当代きっての人気俳優の本格的な共演でした。内容もとても2大スターを意識して作られているようで、その神経がこちらにもピリピリ伝わってくるようでした。本当かどうかは判りませんが、コマ数まで一緒とか台詞の数まで制限されていたとか、映画雑誌に書かれてあったような気がします。でも映画は素晴らしい出来映えでクラシカルな感覚で、音楽もとてもマッチしており、よくまとまっていました。男臭さがぷんぷんする、男のための映画のようでした。アラン・ドロンの美男子ぶりとベルモンドのいなせさがとても対照的ですが、ストーリィも上手く二人を引き立てているようでした。
  フランス映画は1960年代にフイルム・ルノワールといってギャングとか犯罪者を主人公にした映画を撮り、全世界でも大いに評価されていましたが、何故か1980年代になれとフランス映画自体公開されなくなりました。きっと映画産業の偏りや儲かる映画しか公開しない方向での産業構造だと思いますが、フランス映画は隅に追いやられた感じです。ビデオの普及やインドやドイツ映画などの台頭もありますが、フランス映画ももっと頑張って欲しいものです。しかしフランス映画界でもスターの登場が見られません。この二人のようなビックなスターの誕生があればもっと違ってくると思います。
  私は映画の見始めはスターからでした。やはり映画はスターの存在は欠かせません。魅力的なスターがこのところいません。スティーブ・マックィーンはもう30年近く前に死んでしまいましたが、その同時代のライバルであったアラン・ドロンやベルモンドのような存在感のあるスターが不在です。彼らに変わるビックなスターが現れて欲しいものです。
  しかしこの「ボルサリーノ」は今でも立派に通用するおしゃれな小粋な映画だと思います。まだ見ていない人はDVDでお勧めします。私は「スティング」よりこちらのほうが好きでした。 
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2009年08月03日

高校時代の映画「ジョニーは戦場に行った」

  初めてと言ってよいほど衝撃的な映画でした。どうしようもないほど気分が落ち込む感じです。しかしこの作品は紛れもない戦争映画です。戦争という状況下に起こったあり得る物語だと思います。それは観る人に何を思わすか、感じるかは任せています。決して導こうとか、こうあるべきと描いていないと思います。しかし映画があまりにも想像を超えた存在になるために戦争という事実を見失いかけてしまいます。私は幾度かこの映画を再見する機会がありましたが、叶わずにいました。意識的に観なかったのだと思います。
  ジョニーは手足どころか感覚のほとんどを爆弾によって失ってしまいます。思考だけは確かですが、伝達手段はほとんどありません。だるま状態のジョニーはモールス信号を体を動かして、自分の意識の確かさを伝えようとしますが、軍の上層部によってその存在さえも隠されてしまいます。その姿を観ている私たちは目の当たりにするのですが、自分の思考を意図的に遮断されるのです。こんな苦しい、残酷なことはありません。その模様をジョニーの声で訴えるのですが、彼の無念を思うと観ている私も奈落の底に落ちていくようです。
  監督はドルトン・トランボですが、赤狩りにあい仕事を奪われた彼は20年の経てこの映画を初監督しました。あの忌まわしい思想弾圧から再び活動を許されて、戦争の姿を描き出したのです。つまり、ハリウッドの思想弾圧をジョニーと重ねたのだと思いました。私は映画の仲間(大人ですが)から赤狩りの事は結構聞いていたので、多分そう感じたのだと思います。手足をもがれ、目も耳も口もきけず、全てを奪われたのです。しかし自分は生きているぞと自分以外のものとのコンタクトを試みるのです。ジョニーは看護婦しか伝えられませんでしたが、トランボは偽名でハリウッドに挑戦し続けます。そして何度かアカデミー脚本賞を受賞したといいます。トランボは戦争という表現の中で自由の素晴らしさとか生きることの大切さを訴えたのだと思います。
  この映画の評価は沢山あると思いますが、私は見事な反戦映画に昇華していると思いますし、構成の巧みさも含めて素晴らしい映画だと思いました。
私は広島に住んでいます。あの原爆のことを幼い頃から伝え聞きました。戦争という悲惨な状況は写真や映像で見聞きしましたが、1発の爆弾であのジョニーを幾人作り出したのでしょうか。何万人いや何十万というジョニーを戦争は生み出したのです。
  高校生の私には強すぎるくらいの衝撃でしたが、いつかまた再見できたらと思います。  
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2009年08月01日

高校時代の映画「大映倒産」

  そう言えば、1971年は大映が倒産した年だと記憶している。たぶん、その次の年だったと思うが、元大映の社員を呼んで「何故大映が倒産したか」という講義を聴いた覚えがある。
  京都から3名の人を呼んで、黄金山の麓にある山荘を借りて1泊で勉強会をした。高校生の私は何のことやらよく分からず、倒産んって大変なんだなという位の意識であった。
  大映の人は永田社長のことを製作者としては立派な業績を残しているが、社長としては失格だと言っていたのを覚えている。私は倒産の話より、映画の裏話のほうが面白く、倒産より映画の色んな質問をした。大映と言えば「羅生門」「雨月物語」「大魔神シリーズ」「座頭市シリーズ」「ガメラシリーズ」等を思い浮かべるが、中でも市川雷蔵は好きだった。その頃はTVでしか観たことがなく、幼い頃でも何となくかっこよかった。勝新太郎の座頭市も結構観ていた。結局倒産のことはあんまりよく分からずその会に参加したのだが、今でも映画製作の話は印象に残っている。
  沢山の人が解雇され、TVや新会社に移籍していった。5社協定が事実上無くなったわけだ。斜陽と呼ばれていた日本映画界もいよいよ変革を迎えたのであろう。その頃の私には理解できないことが沢山あった。
posted by ヒロシ・マックイーン at 15:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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