2009年09月30日

DVD鑑賞記「レッドクリフU」

  もう随分前に持っていたDVDですが、何だか夏バテ気味で観るのをためらっていました。たとえDVDでも映画を観るというのは体力がいるのもです。ただ眺めているような気もしますが、はやり良いコンディションで観たいものです。
  第1作からの続編ですが、この作品も立派な出来映えだと思います。異論のある方もおられるとは思いますが、私は起承転結がしっかりした、ドラマに破綻がなく作られており、見事な作品に出来上がっていました。敬服ものです。
  三国志そのものが、英雄伝説であまり信用が出来ないと思っていますが、その1700年も前の伝説を見事に現代に合わせて蘇らせたという点でも特筆ものです。映画で使われている武器などは到底あの時代にある物とは思えませんが、そんなことはおかまいなしにぐいぐい引き込んでいる迫力は並みではありません。その人と物量には驚きますが、いくら映像技術が進んだといってもどうして撮影したのだろうかと目を見張ります。この2作はその点でも映画の底力を見せたと思います。
  三国志を現代に蘇らせたと書きましたが、シェークスピアが今でも立派に通用し今も色んな視点で上演されるように、大昔の伝説でも現代に置き換えられると思います。三人の国主の思いや欲望、野心。それに翻弄される国民や国土も今の世界と全くと言って良いほど変わりはしません。そういった意味で人間は年月では計れないものだと言えます。同じような過ちを繰り返し、また知恵で乗りきっていきます。何十万という大軍が、風向き一つで勝敗が決まるとは思いませんが、勝敗は人の恐怖心や迫力で雌雄を決するものなのでしょう。歴史はそれらの事実を見事に証明しています。この作品に出てくる英雄、豪傑は超人的ですが、人間味たっぷりに描かれています。彼らは腕っ節は絶対的に強いですが。随所に弱い部分も見せてくれます。いかに人間は志が大切か、そして目標や理想に近づけようとする心を持っていることの重要さを見せてくれます。
  赤壁の戦いを中心に映画は進んでいきますが、その絶望的な戦いをどう切り抜けるか、人間の持てる力全てを注ぎ込んでいます。ここで多くの死者が出ますが、その犠牲者は目標の為に必要なものとは思いたくありません。人間の愚かな行為の犠牲者なのです。尊い犠牲者の上に栄光があるのではなく、こんな犠牲者を出さないための伝説や物語なのではないでしょうか。監督はこの戦いで亡くなった名もなき兵隊や庶民のために描いたのだと思います。三国志は英雄伝説ではなく、その多くの犠牲者の為に書かれたのだと私は思ってこの映画を観ました。
                                                 続く
posted by ヒロシ・マックイーン at 07:22| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

高校時代の映画「イージーライダー」U

  ここしばらくこの映画欄を書いていませんでした。このところちょっと夏ばて気味でした。少し涼しくなったので、映画を思い出しながら、またDVDを観ながら書いていこうと思っています。

  高校時代は映画館にせっせと通いましたが、もう40年近く前のお話です。よく覚えている映画とそうでない映画も沢山ありました。記憶を辿りながらこうして書くのも結構時間や手間が掛かるものです。しかし今はインターネットがあるので、思い出せない俳優やストーリィは調べると出てきますが、さすがに想い出だけは出ていません。なるべくその時の気持ちを思いだしながら書くようにしていますが、手垢がついた人生、あの頃の心境にはなかなか帰れないものですね。書きながらつくづくそう感じました。
  さて先日書いた「イージーライダー」ですが、TV放映の感想を書こうと思ってのですが、翌日が休みだったので深酒をしてしまい、酔っぱらいながら観ていて、気づいたら終わっていました。情けない・・・・。
  高校時代に観た印象と今観た印象はちょっと違っていたのです。各場面場面は覚えていたのですが、私のこの映画の印象はもっと散文的になっていたのですが、ちゃんとストーリィがそれなりにつながっていたのです。それも結構明るい感覚で。それ故ラストの例えられない終わり方は衝撃的なのかも知れません。今回ラストシーンは見過ごしてしまいましたが、やはりアメリカという底知れぬ怖さは映画から出ていました。監督のデニス・ポッパーが若いせいか全編あっけらかんと描いているのです。さもそれが当然のように・・・。しかしそれが映像にされるとアメリカに住んでいる国民もさすがに衝撃的だったのでしょう。だからあんなにビックヒットしたのだと思います。
  しかし単なる風俗映画ではないのですが、メジャーな香りはこの映画からは感じられません。やはりB級映画の感覚が何故か残ってしまうのです。
  その当時の若者が何故か判らぬ喪失感をもってこの映画を観たのが判るような気がします。その当時と今が同じような世相だからです。
posted by ヒロシ・マックイーン at 07:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月14日

高校時代の映画「イージーライダー」

  今晩、この映画がBS2で放映されます。この作品は高1の時にたぶん観た記憶があります。たしかリッツ劇場です。この作品はアメリカン・ニューシネマの代表作の一つですが、何故かニューシネマの主人公たちは最後に死んでしまいます。それも銃に撃たれ、そして惨めに死んでゆくのです。高校生の時はそんなことは思ってもみませんでしたが、これが現実なのでしょうか。アウトローたちですからそれも仕方ないかも知れませんが、この「イージーライダー」はちょっと羽目を外した格好と派手なバイクにまたがって南部の見知らぬ町を抜けるだけです。それで訳も判らずショットガンに撃たれてバイクは空中の飛んでしまい惨めに殺されてしまうのです。それはとても理不尽で納得がいかないお話です。観ている私も何故?!と思ってしまいました。と同時にそんな物かも知れないと、妙にうなずくところも心には残ったのです。
  私は高1時からこの映画は再見はしていません。何故か縁もなく、また観たいとも思いませんでした。それが何故なのかはこの映画の持っている不思議な力のような気がします。はっきりこれだとは言い切れませんが、映画から醸し出す不安感なのかも知れません。
  何故かこの作品は最初から不安感と居心地の悪さを持った作品でした。映画から流れる、「ワイルドでいこう」や全編に流れるロックではご機嫌にしてくれますが、お話は特に興味深いことはなく、何となく進んで行くのですが、私には何故か馴染めない話の連続だったのです。何となく思っていたアメリカとは違う世界がそこにはあったのです。私の知っているアメリカは「ルート66」のような明るい、健全な世界だったのです。しかし「イージーライダー」が描いている社会は不安な要素いっぱいな世界でした。ですから重要な存在であるジャック・ニコルソンの弁護士も嫌な変な奴で感情移入など出来ない存在だったのです。
  アメリカン・ニューシネマの描く現実はとても悲しい、人間の表だけでなく裏側もしっかり描くのが目的だったようです。その現実を踏まえて未来を展望するものだったのかも知れません。高校時代の私は何となくそんな現実を知ることを映画から学んだような気がします。そう言った意味でこの映画は大きな指針となった作品です。
  今日、夜に放映を楽しみにしています。50才を過ぎたおっさんが、40年ぶりに観てどう思うのか楽しみです。
posted by ヒロシ・マックイーン at 16:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

高校時代の映画「いちご白書」

  この映画はユーミンの曲として題名が使われてとても有名になりました。今でも時々想い出の曲として人気があり、よくTVでも歌われています。映画の「いちご白書」のほうがもちろん先に公開されたのですが、それから5年後に「いちご白書をもう一度」が作曲されたのですが、私が観たのは高校2年生の時です。勿論そんな歌は生まれていませんでした。
  映画の「いちご白書」はとても初々しいまさに青春映画そのものでしたが、当時大学生だった人には忘れられない映画の一つになったことでしょう。そしてユーミンの哀愁に満ちた歌詞とメロディーにはそれこそもう一度で参ったと思います。
  映画は私にとっても衝撃な終わり方をした、何だか心を揺り動かされた気持ちになった作品でした。映像も光をたっぷり輝かせ、二人の男女をちょっと引いて描いていました。ノンポリの男子と学生運動が生きる証のような女の子がお互いに影響しあうお話です。私の高校でも2年前には学生運動のまねごとがあったそうですが、私たちはまるで知りませんでした。しかし政治に少し興味があった私は、その当時過激派らしき大学生のオルグに行ったことがありました。その時その彼とちょっとした議論になり、「どうしてあんなにゲバなどをするのか」と尋ねたことがありました。彼は「あれは学生たちが最初に仕掛けたものではない、警察、機動隊から殴ってきたのだ、だからやり返すのだ」とそのようなことを答えたのです。当時の私でもどうも納得がいかず、もうそのようなオルグには二度と参加しませんでした。そのようなものに参加したことを親が知ればとても悲しませることになるような気がしたからです。私の記憶では彼は過激派のAという人物だったような記憶があります。そこには大学生や女子高生もいました。いま思うととても危険な行動だったと思います。私は彼らのような暴力的な行動はどうしても納得がいかなかったのです。
  ちょうどその頃この映画を観たのです。だから私なりに「いちご白書」は印象深い映画なのです。ユーミンが書いた詩のように二人でこの映画は観ませんでしたが、ラストの理不尽な警察と大学側の仕打ちには私なりに考えさせられました。しかし暴力に対して暴力では解決にならないことを高校生なりに考えていたのだと思います。映画は圧倒的な権力の力で学生たちは屈してしまいますが、これで良いのだろうかと観ている私たちに訴えかけていました。
  私は「いちご白書をもう一度」の歌詞はあまり好きではありません。あの詩をいかに捉えても自由ですが、単なるメモリーにして欲しくはないからです。団塊の世代のあのメモリーが今はどうなったのでしょうか。学生運動は単なる想い出ではなく、私は学生なりの社会への目覚めだったと思っています。そのなれの果てが今ではやりきれなません。一体あの運動はなんだったのでしょう。
  映画をちょっとずれてしまいましたが、この映画はそんなことを思い出さすのです。
posted by ヒロシ・マックイーン at 20:48| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

初めての自主上映!

  高校生の時、映画サークルに高校生ブロックという高校生ばかりで集まった仲間がいました。その頃(1970年〜)は前年に私の高校でも学生運動があり、高校の服装の自由とか何か要求をした事があり、幾人か退学したり、留年した先輩たちがおられた。その中にMさんが私のクラスにいて、映画サークルを紹介してもらったことは以前か書きましたが、なかなか面白い仲間たちでした。
  その頃のメンバーは県工、宮工、松商、崇徳、女学院などの高校生が参加していました。よく3階の事務所に集まってはワイワイ映画の話やら学校の話をしていました。ブロック長は宮工のO君で、もじゃもじゃの髪をした個性的な学生でした。土曜日になると会議らしきものを開き(中身はほとんどなし)これから何をするかとか、観た映画の情報を交換していましたが、趣味が同じなので気心が知れて何となく楽しかった思い出があります。でも所詮学校も違う烏合の衆、就職や大学受験でバラバラになりました。確か一度どこかにピクニックに行ったり、映画を集団鑑賞をした覚えがあります。
  その中で一番の思いでは高校3年の時に自主上映をしたことです。映画は黒沢明監督の「椿三十朗」でした。上映場所はもうすでに廃館になった金屋町にあった文化ニュースという小さな映画館でした。確かその映画の貸し出し料は16000円くらいだったと記憶しています。16oフイルムで貸し館料、そして機材など結構お金がかかりました。その映画館は満杯で100人を少し超える位の小さな映画館でしたが、80名くらい入れないと赤字が出ます。その頃は大学などでも結構自主上映が流行っており広大や女学院、安田女子大などで色んな映画を大学の映研が上映していました。私たちもそれに習ってこの映画を上映したのですが、結局は60枚しかチケットは売れず、50名くらいの参加で赤字になりました。大人に売りつけるのですが、映画があまりに普遍過ぎたのか、思うように売れなかったのですが、そしてたぶん高校生が上映するというので、出来たての広島映画センターのNさんが、機材代は無料にして貰ったと記憶しています。
  言い出しっぺの私がその赤字分を土方に行って、その他諸々の料金を映画センターに支払いました。まあ1万円くらいの赤字だったので何てことはなかったのですが、人を集めると言うことはなかなか難しいことだと言うことを学んだわけです。ガリ版を切ってチケットやチラシを作ったり、いい高校時代の思い出です。
posted by ヒロシ・マックイーン at 10:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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