2010年02月19日

映画鑑賞記「インビクタス」V

  インビクタスとは劇中にもチラッと紹介されますが、マンデラが獄中に読んだ詩の題名のようです。この詩によって彼は励まされ、生きる指針にもなり、不屈の精神を培われていったのですが、彼の寛容の心もそこから学んだことなのでしょうか。ラグビーチームの主将もマンデラのいた監獄を仲間と尋ねます。そこで見たものは彼の心に大きく響きます。アパルトヘイトの惨さと非人間性です。それを感じとったチームはそれこそ大きなものを心に宿すのです。
  マンデラが国に大きな希望と夢を与えるドラマもとても重要な要素ですが、なんと言ってもこの映画の圧巻はラグビーシーンの素晴らしさでしょう。観客はチームの勝利とともに喜びを共に味わいます。まるであたかもその国の人々のような気持ちになります。スポーツというゲームと選手達のがんばりに刺激され、我々も感動を味わう事になります。よくスポーツがプロパガンダに利用されるのも判りますが、スポーツは人々に勇気と気力を与えてくれるのも確かです。他の動物では決して無かった出来なかったことがスポーツなのかもしれません。だからこそこんなにスポーツに熱中し、声援、応援し感動をそこから得るのだと言えます。元来、人間は感動を求めている動物かも知れません。心の琴線を刺激され、同調を求め、明日からもガンバローという精神は感動から得られるものだと思います。
  エンディングに流れる、「ジュピター」の詩は我々に生きる素晴らしさや手を繋ぐ必要を説いています。観客はそのメロディーを聞きながらこの映画を見終えますが、何らかの力をこの映画から授かったと思います。それは今の日本の姿を見つめる目でもあり、よりよい社会を作りだそうとする心だと置き換えられると思います。少しでもいいから明日を良いものにしていきたい。そんなことをこの映画から感じ取りました。
                        終わり
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2010年02月18日

映画鑑賞記「インビクタス」U

  この作品は前半部分はどのようにして南アフリカを一つにするかに腐心するマンデラの姿を描き、後半部分は南アフリカで行われた「ワールドカップラグビー」で勝ち進むチームを中心に描きます。大まかに分ければそうですが、その全てが繋がっており、そこにはアパルトヘイトが縦糸に絡んでいます。たとえ差別撤廃を掲げても国情はなかなかそれを許しません。そこには貧困があり、長い間に蓄積された憎しみが貯まっています。スポーツの世界にも哀しいかな歴然とした事実が存在していました。しかしマンデラはチームの要であるキャプテンにこれからの南アフリカの未来を託し、自分が監獄で学んだことを話します。これらの場面は時にはくどかったり、説教がましくなりがちですが、サラッとしかし実に効果的に私たちに入っていくのです。選手達にも微妙に自身の葛藤として描かれていますが、スポーツの素晴らしさというか勝利に飢えた人々がラグビーを通してわが事のように驚喜していくのです。副題ともなっている負け犬ではなく敗れざる人々でもなく、本当の意味の勝利者を感じさせるのです。
  後半部分というか、ワールドカップで勝つすすむシーンは心震えるほど見事です。勝利をするほど国民は驚喜乱舞します。決勝のシーンやスタジアムの場面などはどうやって撮ったのであろうかと目を疑う場面です。これはCGなどでは味わうことが出来ない、生身の人間の姿です、人の姿や魂が爆発するのです。これにはさすがに参りました。圧倒的な迫力で心に迫ってくるのです。このようなクリント・イーストウッド監督作品は初めてです。これは題材の良さにも助けられたとも思いますが、スポーツの持つ力が私たちに乗り移ったのかも知れません。これまでスポーツを題材にした映画は沢山作られましたが、このような波状攻撃のように迫り来る作品はそうそう出会うことはできません。奇しくもバンクーバーオリンピックが行われている時期に重なりましたが、スポーツの持つ力を再認識させてもらいました。
                      続く
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2010年02月17日

映画鑑賞記「インビクタス」

  このところ出す作品がみんな絶好調で世界の名監督になった感のあるクリント・イーストウッド監督ですが、皆が申すようにこの作品が出来映え的にはベストの作品と私にも思えます。この間DVDで観た「グラン・トリノ」の時書きましたが、彼の作品には感動がないと言いました。しかしどうでしょう、この作品はこれまでの彼の作品とは思えないほど、実に圧倒的な映像と迫力で観客の心に迫りくる映画を撮りました。それは見事というしかないほどの2時間14分でした。
  私は映画を観て時間を感じさせずに気持ち良くもっと観ていたいと思った作品は本当に久し振りでした。それも事実に基づいていることもさることなれど、大統領役のモーガン・フリーマンが圧倒的な演技で観客をぐいぐい引き込んでいくのです。あの混沌とした南アフリカでこのような事があったのか、という事実と大統領のネルソン・マンデラの偉さに観客は釘付けにされます。27年間という長きにわたって投獄され、大統領になったマンデラですが、彼の思想と体験から得た知恵が国政に反映されていくのです。映画の前半はそのことに費やされます。アパルトヘイトという時代錯誤の悪法がまかり通る南アフリカがどのような苦難と指導で克服されて行ったが、ある出来事を通して描かれていくのです。勿論2時間という短い時間で南アフリカの復興は描き込める訳は出来ませんが、マンデラはスポーツというものを通して国をまとめることを思いつきます。映画は実に見事に国を一つになった事実を描いているのです。
  そのスポーツとは自国で行われる事になっている「ワ−ルドラグビー」でした。このくだりや、大統領に選ばれた時に大統領官邸で行われた出来事などは愉快と言えるほど大岡捌きを見せてくれます。厳然と黒人差別がまかり通り、それが当たり前になっており、白人との差別化が公然と行われていた時にどのようにしてこれを克服していったのかが描かれているのです。どこかの国のお偉さんに見せてやりたい程です。それにはどれだけの苦労があったのか計り知れませんが、彼の投獄生活から得た体験が大きく作用しているようです。映画は私たちに教えてくれます。憎しみからは何も前向きな前進は得られない事を。スポーツの会合に大統領自ら出向き、既に決定事項を覆す場面などは心躍るシーンでした。投獄生活から学んだことを政治に生かす所などはマンデラの偉さを象徴するに余りありました。
                           続く
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2010年02月13日

映画鑑賞記「おとうと」W

  吟子は鉄郎の態度に激怒し追い出してしまいます。その際鉄郎は変な咳をして吟子の心に引っかかっていました。時は流れ、突然大阪のホスピタルのような民間の救護所のような所からもう鉄郎は永くないと告げられます。彼は病院に担ぎ込まれたのですが、支払いも出来ずにここに引き取られたのです。私たちはこのような民間の施設があることを教えられます。本来なら国が面倒を見なければならないはずなのに、生活保護をもらいこのような施設で最後まで面倒をみているのです。その実態も映画は訴えています。本当にこんな事でいいのだろうか、個人や誠意ある人たちに生命の終焉まで面倒を見させているのです。日本にはちゃんとした憲法が有るはずなのに順守されていないことを目の当たりにするのです。
  そこは鉄郎にとって天国のような場所だったに違いありません。好きなお酒を隠し飲みしたり、芝居の真似事をしてホームの人たちを楽しませたり困らせたりした様子が語られます。この場面も山田洋次監督の真骨頂です。生活の断面から社会の構図や問題点を鋭く切り取っています。私はこの場面も少し気になりましたが、こうして時間が経ち書いているとこの映画の伝えたいことが鮮明に蘇ってきます。観ているとき気になったのは、余りにもそこに働いている人たちが立派なのです。それは確かに立派な仕事をされているし、人生の最後を看取ること自体大変なことなのに黙々と厭わずに世話をされておられることに畏敬の念を持ちます。でもそこに僅かな反発というか気に入らないというか、そのような気持ちが起こったのです。それは私の人間として至らぬ所だと思いますし、博愛の精神の欠如だとも言えるでしょう。
  映画は鉄郎が死に至るまでを切々と描きます。私はこれは禁じ手と思うくらいです。人の死ほど尊厳があり、また不思議な世界はないと思うのです。こんなにじっくりと撮られ見せつけられると、観客は様々なことを感じざるをえません。と言うのも、つい最近義母を亡くしたばかりなのです。妻には堪えたと思います。どうして山田監督はこんなにまで死に至るまでを描いたのだろうかと思わずにはえません。このどうしようもない弟ですが、人に迷惑を掛けっぱなしだが死に際しては等しく平等でたまらなく愛しいものだということかも知れません。姉に目が覚めると怖いと呟きます。吟子はリボンで手を繋いで起こしてくれと言います。このシーンは嗚咽が漏れるほど哀しく、もう全てを許せる場面だったと思います。悲しいのではなく、哀しいのです。どんな人間だって死んでしまうとそれは想い出になり、また憎しみにもなります。しかしそれを乗り超える精神を生きている人は持っているということかもしれません。鉄郎という生き様と死に臨み人間という存在、尊厳というものを伝えてくれたような気がします。
  こう書くと映画の出来は素晴らしいように思えますが、私は不満は沢山ありました。それは心にしまって置くとして、人生の半ばを過ぎた私には最近の山田作品は娯楽、喜劇というものを超えた教条的なものを感じてしまいます。それは決して良いとは思いませんが、こんな監督は多くはいません。映画を通じてそんな多くのことを感じさせてくれるのも山田監督ならではと思っています。
                          終わり
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2010年02月12日

映画鑑賞記「おとうと」V

  この映画の主人公は姉の吟子と弟の鉄郎ですが、娘の小春の身辺も描かれます。この映画はその小春の結婚式から始まるのですが、相手の新郎の鉄郎を見る態度でだいたいどのような人物かは判断できます。案の定娘は里帰りしたまま離婚になります。近所の知り合いは近くに良い人がいないかぁとやたら小春を気にしています。しかし小春にも問題があるといえます。恋愛時代に彼のそのような態度や性格を見抜けなかったと思うのです。結婚です、恋愛とは違うはずです、明らかに軽率だったと思われても仕方ありません。あっけない離婚です。我慢とかもっと努力するとかはそこには存在しませんでした。別にそれが悪いとかは言いませんが、大人同士です相手の心まで変えるとは大変な労力が必要なのでしょう。
  吟子も鉄郎から聞かれます。義兄が死んでから好きな人はいなかったのかとしつこく質問されます。吟子はいないと答えますが、とても興味深い質問でした。吟子は一体どう思ってあの長い時間を過ごしたのであろうか。あの器量です、言い寄った男性もいたはずですが、吟子ははぐらかします。というか本当にいなかったのかも知れません。
  映画はその人生の断片をかいま見せてくれます。このあたりは山田監督ならではの見せ場だと思います。何気ないシーンに人生の奥行きを見せてくれます。
  鉄郎の借金で大阪から姉を訪ねて来たシーンも吟子の性格がよく表れています。普通ならもっと疑い、相手もその何割でも良いと言っているのだからそうすると思うのですが、彼女は瞬く間にその全額を降ろして渡します。彼女の生きてきた決意とか覚悟が見受けられます。それが鉄郎との違いでもあり、吟子の意地かも知れません。
                     続く
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2010年02月11日

映画鑑賞記「おとうと」U

  どうしようもない弟が来るはずもない結婚式に現れ、式の披露宴をしらけたものにするのです。私も幾度か結婚式に行き酔っぱらった親族を見たことがありますが、さすがにここまではありません。しかしこの弟の行為は予想の範囲内でした。やはり兄や姉が気をつけていれば防げた弟の行動だったと思います。そこらは観ている観客にそんなことを思わせてはいけないと思うのですが、山田監督の演出にそんなことを感じたたことがなかったので今回とても気になりました。気配りというか、どうしようもない弟を演じさすのためにこの舞台を用意したように思えてくるのです。確かに幼い頃から問題児だったことが語られます。本人もそのことは自覚しているようで、そのあたりは寅さんとはちょっと一線を画します。確かに寅もシリーズの前半の頃は他人に迷惑をかけていましたが、決して騙すような行為はしてはいませんでした。この鉄郎は寅とは別人格なので決して同列視はできませんが、どうしても比べ思い出されます。
  家族にそのような人物がいることを限定でこの物語は作られています。確かにそのような存在はいます。兄弟に迷惑をかけたり、悩みの種の存在です。しかし家族というか兄弟は縁が切れないというか、どうしようもない存在でも愛すべき人というか、心の奥には消せないものがあるということをこの映画は教えてくれます。それが大げさに言えば人生というものかも知れません。そりゃあ楽に何の問題もなく過ごしたいものですが、そう簡単に排除出来たり、消せる問題ではないことを語っています。またそのことで人生はままならぬ事を知り、人間も育っていくのですが、近頃はその面倒なことを排除したり、消してしまおうとしていることを山田監督は感じているのではないでしょうか。
  しかしこの鉄郎は最後まで姉に迷惑をかけて死んでゆくのです。この弟の存在は一体何だったのだろうか。他人に頭を下げ続け、大金まで見知らぬ女に渡す羽目になり、とうとう唯一の見方である姉にも見放されます。映画は語ります。早く亡くなった吟子の夫から娘の名付け親になったもらった理由。そんな優しい気持ちもその鉄郎には伝わっていたのかどうか・・・。しかしその理由を聞いたとき娘の小春も私たちも何故かハッと思わすシーンでした。そんな優しさを私たちは日頃から感じ持ち合わせているのだろうかと。日頃の忙しさや身を削るような社会に暮らす私たちは忘れている気持ちではないかと思わせます。
                    続く
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2010年02月10日

映画鑑賞記「おとうと」

  昨日何年振りに映画館で映画を観ました。映画館で映画を観るのは当たり前なことですが、ビデオの登場以来、映画館で映画を観る人は少しずつだが減少していったと思います。ビデオからDVDへ移行していくのです。映画人口の増減は定かではありませんが、私は仕事の関係上と、金銭面で明らかに映画館へ足を向けなくなった一人です。これでは映画ファンではないと言われても仕方がないですが、映画であれ、DVDであろうと映像には違いないはずです。映画館で同じ映像を観るのとは明らかに違いはありますが、私の中では紛れもなく小さな受像器で観ても映画には違いはないと思っています。
  と言うわけで、久方ぶりに奥さんとこの「おとうと」を府中町のシネマ・コンプレックスに出かけたのです。映画は山田洋次監督なのでとても期待していたのですが、出来は彼の中では並みの出来だと思いました。こんな事を書くと叱られるかもしれませんが、山田洋次作品のほとんどを観た私はまあこんなものかと思ってしまいました。
  山田監督も歳をとったせいか、近頃の作品に教えを説くようなシーンが多く観られるような気がします。説教とは違うものですが、何のためにこれがあるのか、とか人間はこうするために生きているような説明です。何故か、「たそがれ清兵衛」の頃からそんな場面が目につくような気がします。これは私の思いこみかもしれませんが、今回の「おとうと」でも吉永小百合扮する吟子も余りにも正論過ぎて、まともで立派で返す言葉がないくらいでした。観ている私は返す言葉がなくて、ごもっともですとしか思えないのです。ある意味とても居心地が悪いのです。さりとて鶴瓶扮する弟の鉄郎は余りにも問題が有りすぎに描かれています。一見寅さんの様にも思えてくるのですが、だらしな過ぎてまるで取り柄のないような人間に思えてくるのです。実際もっと話し合えば鉄郎の良さは有ると思いますが、兄弟や人に迷惑を掛けっぱなしで死んでゆくのです。この映画を考えるならいくらでも良いところや言いたいメッセージは語ることは出来ますし、また書けるでしょう。しかし一本の映画として観たとき、「東京物語」のときのような時代を超えた人間の生きる尊厳のような教えを感じることはなかったのです。
                        続く
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2010年02月09日

こんな悲しいことが・・(脊髄小脳変性症)

  友人や関係者にはそれなりにしゃべれても、親だけには知られたくない、伝えたくない事でした。そりゃそうでしょう、こんなこと言える訳がありません。
80才を前にした年老いた親に対して自分の病気の事は出来たら隠しておきたかった。妻は早く本当の事を伝えたらと言いましたが、そりゃ言えないものです。ですからここ数ヶ月は本当に辛かった。でもいつかは伝えなくてはいけないとも考えていました。親もそれなりに年を取り、こんな事を聞かされるとは夢にも思っていないでしょうし、私も親不幸の極みとも思っていました。しかし1日おきに昼食の出前をしているのですが、優しい言葉を掛けられるとそれは堪えます。早く話そうと思うのですが、なかなか決心がつかないでいました。しかし1月の後半ですが、隠しておくのがとても苦しくなり今日どうしても話しておこうと思い立ったのです。それは定休日の火曜日でしたが、夜直ぐ近くにある実家に話に行ったのです。そのきっかけはその日とても体がふらつきこれからの事が不安になったからです。早く話して自分の気持ちや体の事を伝えたて楽になりたいと思いました。黙って両親は話を聞いてくれました。私は涙が止めどなく流れ、謝ったのですが、逆に涙を流したいのは親のほうだと思うのですが、しっかり受け止めてくれたのです。自分の親ながら立派なものだと思ったものです。私のほうが先に涙を流したので、そのきっかけを失ったのかもしれません。また「お前の体は私らが生きている限り守ってやる」とも言われたのです。全く逆でなければいけないのにさすがにこれには参りました。親というのもは大した存在だとつくづく思った次第です。語り終えた時に何だか肩の荷が下りた気持ちもあったのですが、本当の苦しみはこれからだと言うことも同時に感じたのです。
でも本当に親というのはこんな歳をとっても親なんですね。私も3人の子持ちですが、少しでも子供孝行ができたらと思います。
posted by ヒロシ・マックイーン at 20:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月04日

そして広大へU(脊髄小脳変性症との事)

  広大病院へ行くのは何年振りのことでしょう。広大の歯学部には飲み屋をやっていたころ随分と通いましたが、病院へはほとんど行ったことがありませんでした。それこそ見舞いに来たくらいです。今回は紹介状持参ですので、少しは早く診察して貰えると期待していたのですが、それ以上の早さでした。待つことはあまりなく、スムーズに診て貰うことができたのです。ちょっとビックリしました。
  診断を受けるのですが、S病院よりそれ以上に多くの身体的検査をしました。それはほとんど運動機能を調べるのですが、簡単な仕草をするのです。健常者なら問題なく出来る動きです。今の私でも簡単に出来ますが、これからこんな動きが出来なくなるのかしらと逆に思うくらいです。そして血圧を調べるのですが、それも何回も計るのです。さすがにこれは心配になるくらいです。何故何度も計るのかと質問すると、運動の後先で数値が異常に上がったり下がったりすることがあるからだと言われた。よく判らないがへんに納得してしまった。今、私はその動きが速く出来るか、時々自分でもしています。
  意外に早く診察が終わったので広大にいる友人に昼食でもと誘ったのですがあいにく忙しいとの返事だったので、ソレイユまで行き中華バイキングを食べました。あまり美味しくなくちょっと損をした気分でした。診断のほうはほぼ間違いないとのこと、しかしどうこうしろとの指示はありませんでした。これでこの病気だとお墨付きをもらったことになります。しかしまだまだ実感は湧いては来ないのです。湧いてきても困りますし、これから一体どうすればいいのかもただ漠然としており、どうすることもできないのです。ただ全くの初期であるということです。しかし確実にその足跡が聞こえてくるようで、とても怖い気持ちになりました。どうしようもない不安感がただ漠然とあるのです。そのことばかり考えていると、何だか押しつぶされそうになりますが、また逆に脳細胞が減るのなら増やすことも出来るのではないかとも考えるのです。
posted by ヒロシ・マックイーン at 15:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

DVD鑑賞記「グラン・トリノ」W

  映画はまたもや意外な展開を迎え終わります。あのクリント・イーストウッドが死ぬのです。それも相手の銃弾を浴びて抵抗もせずに一方的にやられてしまいます。むしろそれが望みだったようです。その死に様はむしろ「あっぱれ」と言うしかありません。多くのものを隣人たちに残したことでしょう。自分に対しても、銃弾を浴びせた不良たちにもです。絶対に勝ち目のない抵抗だとも言えますが、観ている私たちは彼ならやっつけてくれるであろうと勝手に想像、そして期待をしてしまいます。そうではなく、死して勝利を勝ち取るのです。アメリカの精神構造ではちょっと考えられない行動だと思います。それはかつて朝鮮戦争で得た体験、教訓かも知れませんが、ちょっと驚きでした。また隣人達から学んだ協調や助け合い、感謝の念から得たものかも知れません。異文化からの交流は少なからずもコワルスキーに影響を与えたに違いありません。
  私たちはクリント・イーストウッドの映画から多くの戦いを観てきました。それは相手から、社会から政治からという様々な戦いです。それから理不尽な戦いからでもです。それに暴力という形で彼は戦ってきたのですが、ここ最近はあがいきれないものから、耐えたり精神で乗りきったりしています。大きな精神的変化ともいえるでしょう。クリント・イーストウッドはこれで主演は余程の役でないと演じないと言っているようですが頷けます。なにせ自分から死んでいったのですから・・・・。
  この作品の評価は別にしてこの精神的変化は大いに学ぶことがありました。そう言った意味では重要な作品だと言えます。最後に「ラン・トリノ」を遺品として隣人の青年に送られたのが彼の大きなダイニングメッセージなのでしょう。
                   終わり
posted by ヒロシ・マックイーン at 07:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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