2010年02月02日

DVD鑑賞記「グラン・トリノ」W

  映画はまたもや意外な展開を迎え終わります。あのクリント・イーストウッドが死ぬのです。それも相手の銃弾を浴びて抵抗もせずに一方的にやられてしまいます。むしろそれが望みだったようです。その死に様はむしろ「あっぱれ」と言うしかありません。多くのものを隣人たちに残したことでしょう。自分に対しても、銃弾を浴びせた不良たちにもです。絶対に勝ち目のない抵抗だとも言えますが、観ている私たちは彼ならやっつけてくれるであろうと勝手に想像、そして期待をしてしまいます。そうではなく、死して勝利を勝ち取るのです。アメリカの精神構造ではちょっと考えられない行動だと思います。それはかつて朝鮮戦争で得た体験、教訓かも知れませんが、ちょっと驚きでした。また隣人達から学んだ協調や助け合い、感謝の念から得たものかも知れません。異文化からの交流は少なからずもコワルスキーに影響を与えたに違いありません。
  私たちはクリント・イーストウッドの映画から多くの戦いを観てきました。それは相手から、社会から政治からという様々な戦いです。それから理不尽な戦いからでもです。それに暴力という形で彼は戦ってきたのですが、ここ最近はあがいきれないものから、耐えたり精神で乗りきったりしています。大きな精神的変化ともいえるでしょう。クリント・イーストウッドはこれで主演は余程の役でないと演じないと言っているようですが頷けます。なにせ自分から死んでいったのですから・・・・。
  この作品の評価は別にしてこの精神的変化は大いに学ぶことがありました。そう言った意味では重要な作品だと言えます。最後に「ラン・トリノ」を遺品として隣人の青年に送られたのが彼の大きなダイニングメッセージなのでしょう。
                   終わり
posted by ヒロシ・マックイーン at 07:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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