2010年02月10日

映画鑑賞記「おとうと」

  昨日何年振りに映画館で映画を観ました。映画館で映画を観るのは当たり前なことですが、ビデオの登場以来、映画館で映画を観る人は少しずつだが減少していったと思います。ビデオからDVDへ移行していくのです。映画人口の増減は定かではありませんが、私は仕事の関係上と、金銭面で明らかに映画館へ足を向けなくなった一人です。これでは映画ファンではないと言われても仕方がないですが、映画であれ、DVDであろうと映像には違いないはずです。映画館で同じ映像を観るのとは明らかに違いはありますが、私の中では紛れもなく小さな受像器で観ても映画には違いはないと思っています。
  と言うわけで、久方ぶりに奥さんとこの「おとうと」を府中町のシネマ・コンプレックスに出かけたのです。映画は山田洋次監督なのでとても期待していたのですが、出来は彼の中では並みの出来だと思いました。こんな事を書くと叱られるかもしれませんが、山田洋次作品のほとんどを観た私はまあこんなものかと思ってしまいました。
  山田監督も歳をとったせいか、近頃の作品に教えを説くようなシーンが多く観られるような気がします。説教とは違うものですが、何のためにこれがあるのか、とか人間はこうするために生きているような説明です。何故か、「たそがれ清兵衛」の頃からそんな場面が目につくような気がします。これは私の思いこみかもしれませんが、今回の「おとうと」でも吉永小百合扮する吟子も余りにも正論過ぎて、まともで立派で返す言葉がないくらいでした。観ている私は返す言葉がなくて、ごもっともですとしか思えないのです。ある意味とても居心地が悪いのです。さりとて鶴瓶扮する弟の鉄郎は余りにも問題が有りすぎに描かれています。一見寅さんの様にも思えてくるのですが、だらしな過ぎてまるで取り柄のないような人間に思えてくるのです。実際もっと話し合えば鉄郎の良さは有ると思いますが、兄弟や人に迷惑を掛けっぱなしで死んでゆくのです。この映画を考えるならいくらでも良いところや言いたいメッセージは語ることは出来ますし、また書けるでしょう。しかし一本の映画として観たとき、「東京物語」のときのような時代を超えた人間の生きる尊厳のような教えを感じることはなかったのです。
                        続く
posted by ヒロシ・マックイーン at 15:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。