2010年02月11日

映画鑑賞記「おとうと」U

  どうしようもない弟が来るはずもない結婚式に現れ、式の披露宴をしらけたものにするのです。私も幾度か結婚式に行き酔っぱらった親族を見たことがありますが、さすがにここまではありません。しかしこの弟の行為は予想の範囲内でした。やはり兄や姉が気をつけていれば防げた弟の行動だったと思います。そこらは観ている観客にそんなことを思わせてはいけないと思うのですが、山田監督の演出にそんなことを感じたたことがなかったので今回とても気になりました。気配りというか、どうしようもない弟を演じさすのためにこの舞台を用意したように思えてくるのです。確かに幼い頃から問題児だったことが語られます。本人もそのことは自覚しているようで、そのあたりは寅さんとはちょっと一線を画します。確かに寅もシリーズの前半の頃は他人に迷惑をかけていましたが、決して騙すような行為はしてはいませんでした。この鉄郎は寅とは別人格なので決して同列視はできませんが、どうしても比べ思い出されます。
  家族にそのような人物がいることを限定でこの物語は作られています。確かにそのような存在はいます。兄弟に迷惑をかけたり、悩みの種の存在です。しかし家族というか兄弟は縁が切れないというか、どうしようもない存在でも愛すべき人というか、心の奥には消せないものがあるということをこの映画は教えてくれます。それが大げさに言えば人生というものかも知れません。そりゃあ楽に何の問題もなく過ごしたいものですが、そう簡単に排除出来たり、消せる問題ではないことを語っています。またそのことで人生はままならぬ事を知り、人間も育っていくのですが、近頃はその面倒なことを排除したり、消してしまおうとしていることを山田監督は感じているのではないでしょうか。
  しかしこの鉄郎は最後まで姉に迷惑をかけて死んでゆくのです。この弟の存在は一体何だったのだろうか。他人に頭を下げ続け、大金まで見知らぬ女に渡す羽目になり、とうとう唯一の見方である姉にも見放されます。映画は語ります。早く亡くなった吟子の夫から娘の名付け親になったもらった理由。そんな優しい気持ちもその鉄郎には伝わっていたのかどうか・・・。しかしその理由を聞いたとき娘の小春も私たちも何故かハッと思わすシーンでした。そんな優しさを私たちは日頃から感じ持ち合わせているのだろうかと。日頃の忙しさや身を削るような社会に暮らす私たちは忘れている気持ちではないかと思わせます。
                    続く
posted by ヒロシ・マックイーン at 07:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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