2010年10月26日

社会人の時に観た映画1976年「タクシードライバー」

 あの当時、ニューヨーク派と呼ばれていたと思います。いわゆるセットを主体とした従来のハリウッド映画の手法ではなく、自由に作家の主体性を尊重した映画作りのようですが、、アメリカン・ニューシネマの時代最後期も作品と位置づけられるかも知れません。実際ニューヨークを拠点とした活動をしてハリウッドとは一線を画く映画作りをしています。
 監督はマーティン・スコセッシ監督ですが、これが出生作になりました。その名の通りイタリアの移民の子のようですが、暴力描写が凄まじいようにそのような生い立ちが映像によく現れています。この「タクシードライバー」もその辺りがよく描かれています。暗い画面、いつも蒸気が上がっているような、じめじめした空気。どこか不健康そうな社会がそこには存在していました。私はどうもこのような映画が苦手です。心が拒否反応を示すのです。
話も一見脈絡がない描写の積み重ねのように見えますが、全体に不安定な不吉な雰囲気が全編に漂います。主人公のトラビスも決して普通の感じではありません。彼女に普通のようにポルノ映画に誘ったり、事務所に押しかけたり異常者のようです。私はその時のニューヨークとは怖いところという印象を持ちました。映画の後半部分に入るともっと異常な世界に入りますが、監督にはこのような世界が普通だったのかも知れません。しかしトラビスには正しいことをしている意識しかありません。幼い売春は良くないと、彼女を助け出そうとします。しかしその方法は暴力でした。頭もモヒカン狩りにし、拳銃で彼女を助け出そうとします。まともではありません。まるで、アメリカはそれでしか、解決方法がないみたいです。
 この映画のヒットでアメリカ映画の方向性が定まったような気もしますが、一方で「アリスの恋」とか「ハリーとトント」のような映画もでてきます。多様性に富んだアメリカ映画の一端を覗かせますが、アメリカの持つ病根まではたどり着けません。映画は社会を映す鏡なのでしょう。しかし私はもう一度観ようとは思いません。
posted by ヒロシ・マックイーン at 10:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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